【第99期講座】2008年01月-2008年06月

福岡 伸一の講座リポート


■はじめに
科学者は、私たちが簡単に通り過ぎる風景であっても何かを感じて眼をとめる。そして事実を見極め、仮説を立てて、その生涯をかけて検証し続ける。そこにさまざまなドラマが生まれるごとに、科学は発展してきたし、それが今日の文明を支えているともいえる。
分子生物学者として福岡伸一氏は「生物と無生物の間」というベストセラーを通じて、生命の本質をわかりやすく、そして謎解きにも似た科学者たちの物語を紹介している。

今回、福岡氏は「科学的リテラシーを身につける三原則」を提示しながら、事実を見ること、考えることについて、私たちにとって大切なこととは何かを問題提起しておられた。

■部分と全体・・・人間のもつ「パターン抽出能力」の功罪
福岡氏はまず二枚の絵を私たちにスライドで見せた。一枚はアメリカのポールゲッティ美術館が所蔵する「ラグール(潟)の狩猟」(カルパッチョ作/1490年代)とイタリアのコレル美術館所蔵の「ベネチアの二人の婦人」(カルパッチョ作/1490年代)である。テーマも構図もまったく違う二枚の絵は、実は本来一枚の絵が上下に切り取られたものであったとのコメントに会場からは「アッ」という声があがった。沼に浮かぶゆりの花へのこだわりが、ベネチアの二人の婦人の絵を引き寄せたともいえるが、ここに眼をとめ、事実を追求することなしには見つけることができなかったであろう。

福岡氏のコメントによれば、19世紀の評論家が二人の婦人の絵を「高級娼婦」と誤名したのは、一枚の絵だけで判断したことにあったとのであり、人間の部分をみてそれがすべてであるという認識の仕方、つまりはパターン抽出能力によるものとのことだった。

人間のパターン抽出能力は実際にはないものまでも「ある」と認識し、そこに思いを投影してしまう。これはここ最近、「神の手の雲」というチェーンメールで雲が手の形になっている写真が出回ったことを思い起こした。この手の写真は4年ほど前に造られたものであるが、いきなり見せられた人の中には実際にはない神の手を感じることも多かったと聞く。
お相撲さんに見えるカメムシや人面魚など、私たちの周囲でパターン抽出能力を駆使して、見えないものを見ようとすることにはことかかない。
福岡氏は、部分は部分だけではなく、全体とのつながりの中で認識しなければならないと指摘する。たとえば、鼻を切り取って移植することができるかということでも、鼻の役割としての嗅覚は単に顔の鼻だけで成立しているものではなく、香りを認識する細胞や神経、そして脳までもつながっているとなれば、鼻という部分は全体とのつながりの中にあるものだとわかってくる。もともと一個の受精卵から発展して分化したものなので、部分だけを取り出すということはできないと指摘する。

しかし、人間は時として部分を切り取って、すべての判断基準にしてしまう過ちをいくつも犯してしまうものであり、そこに現代社会のいくつもの問題もあるとのこと。

■狂牛病にみる部分的思考の問題
福岡氏は狂牛病の問題を振り返りながら、人間の部分的思考の危険性を指摘する。
狂牛病は①本来草食動物である牛に「肉骨粉」(牛や羊や豚などの死体を飼料にしたもの)を食べさせたこと。②肉骨粉という飼料をつくる際、1970年代半ばに起こった石油ショックで燃料が高騰し、130℃で2時間の熱するところを30分しかかけないといった状況があり、イギリスの羊の病気であるスクレイピー病(風土病)を不活性化できない飼料を牛が食べるようになったこと。それが原因でイギリスの牛が狂牛病にかかるようになった。③その飼料はイギリスでは禁止されたが、フランスに輸出され、さらにはアメリカ、アジアに拡散したことが問題であったという。

自然の食物連鎖を人間の利益を追求する行為によって断ち切り、牛がかかるはずのない狂牛病が生まれた。そして狂牛病の牛を食べることで人間がヤコブ病にかかるようになり、さらに血液を通じて、人から人へと広がる危険の中にある。自然の摂理に反する人間の行為は、部分的思考のもたらす重大な問題である。

現在の日本でも狂牛病の問題でアメリカ牛の輸入は政治的判断で再開されているが、食の安全性という視点でみたとき、大いに疑問が残るところでもある。食の安全を確保するよりも日米の政治的・経済的問題が優先されることはあっていいものかどうか・・・

■科学的リテラシーを身につける三原則
この三原則については、福岡氏の講演より抜粋して紹介しておくことにしよう。
福岡氏の考え方、その原理原則がより理解しやすいのではないかと思う。

『どんなことに対しても、(1)定量的に考えるということです。
たとえば地球温暖化の問題、大気中に二酸化炭素の濃度が上昇することで地球が温暖化していくという問題があります。それでは大気中に二酸化炭素がどれくらい含まれているか、すぐに言える方はいますか?
(何年か前に300ppmと聞いたことがあります)
正解です。
しかしパーセントでみれば、大気中に一番含まれているのは窒素ですよね。それが8割ほど含まれています。それから残りの2割ほどが酸素です。そのふたつでほぼ100パーセントになります。二酸化炭素は350ppm、これをパーセントに直すと0.035パーセントです。たったそれだけしかないものを、地球全体に重大な影響を及ぼすかもしれないという問題なわけです。たしかに今から200年位前までは二酸化炭素の濃度は0.028パーセントくらいだったのです。それが200年を経て0.035パーセントから0.037パーセントくらいまで上昇している。
その数値だけをみたら、0.028が0.037になった、つまり30パーセント以上が増加したわけです。それでも地球の大気全体に対する濃度というのは極めて小さいわけです。その変化が本当に温暖化をもたらすかどうかというのはまだ十分にわかっていないわけです。二酸化炭素を出すな、出すなといいながらも、実際に大気中の二酸化炭素がどれくらい含まれているのかということを正確に言える人はなかなかいないわけです。
そういったところで数値的にものごとを考えるというのが、科学的なことを考えるうえで、科学リテラシーというのは、科学の読み書きそろばんにあたることですが、まず定量的に考えるということが最初に大事なことになってくるかと思います。

次に考えなければいけないことは、(2)相関関係と因果関係とは違うということです。これが今非常にあいまいになっていて、いろいろな混乱がもたらされているわけです。つまり二酸化炭素が徐々に上昇しているというのは確かです。それは1800年くらいまではずっと変わらなかったものが急に上昇していることから考えて、人間の経済活動、産業革命以降の活動が二酸化炭素の上昇に手を貸しているというのは間違いありません。しかし、そのことによって本当に気温が上昇しているかどうかという因果関係はまだわかっていません。
ある現象が起きたときにもう一方の現象が起きている