【第100期講座】2008年09月-2008年12月

ペマ・ギャルポの講座リポート


■はじめに
2008年は中国北京オリンピックが開催された。中国が国家をあげて成功させるために、あらゆる手段を尽くした。同時に今回の北京オリンピック開催によって、いくつもの問題が表面化したことも特徴的であった。
特にギリシャのアテネで点火された聖火が北京まで、世界をかけめぐる際にチベット問題が噴出した。中国がチベット人を弾圧し、自由を奪っていることへの抗議が世界各地で起こった。聖火ランナーが走る周囲には厳重な警備が敷かれ、およそ平和とスポーツの祭典と呼べるような明るい雰囲気がないまま、聖火は中国へと辿り着いた。日本においても長野の善光寺が聖火のスタート場所を拒否したことが注目され、沿道には中国の国旗とチベットの国旗が入り乱れた風景は異様なものがあり、純粋に聖火と聖火ランナーを楽しみにしていた一般市民も残念がっていたことが強い印象として残っている。

これほど日本でチベット問題が報道されたことはなかったが、ほとんどの人々はチベット問題が何を意味しているのかについてわかりにくかったのではないだろうか。

そこで本講座においてチベット文化研究所所長のペマ・ギャルポ氏に登壇していただき、チベット問題の本質について語っていただいた。ペマ・ギャルポ氏はインドに亡命した後1965年に来日し、日本でのさまざまな活動を通じてチベットのために尽くしてきた。そして、中国のチベットに対する政治の変遷の中での交渉経験と、ダライラマ法王を支える一人として現場の真実を語ることができる立場にある。

■チベット自治区・ラサでの暴動の真実
ペマ・ギャルポ氏は中国の地図を指して、「チベット自治区だけがチベットなのではありません」と240万~250万平方キロに及ぶ、いわゆる大チベットこそが本当のチベットなのだと指摘する。私たちはチベットといえばチベット自治区だけを指していると思い込んでしまうが、たとえば四川大地震があった地域の多くはチベットである。そして世界遺産として登録された九寨溝は、その名はチベット人の村が九つあるところから由来しているという。また中国の代表的な動物にパンダがあげられるが、パンダが生息している場所はチベットなのだという。

ペマ・ギャルポ氏によれば、3月10日の騒乱は暴動ではなく、毎年行われている抗議デモなのだという。1959年3月10日は、中国政府は宗教弾圧の手をチベット仏教のダライラマ法王に向けたことによって、ダライラマ法王がインドに亡命することになった抗議の日である。チベット人は49年間、毎年この日に抗議デモを行い、中国政府のチベット支配と弾圧、文化の破壊を世界に訴え続けてきた。

今年の抗議デモに対して、中国政府は北京オリンピックの開催に影響がないようにあらかじめチベット人の抗議デモに警戒をしていたという。僧侶20人から30人に対して数百人の公安が取り囲み、挑発行為を繰り返した。騒動が大きくなり、マスメディアではチベット人の暴動であると報道され、映像はチベット人が暴力をふるっている場面が繰り返し流されることとなった。中国側の発表によれば死者20名であるが、チベット亡命政府の発表では死者200名、逮捕者数千名というものだった。


◆今回のチベット人による抗議デモの要求は以下の項目である。
①2007年10月ダライラマ法王がアメリカ議会の最高栄誉賞受賞に関連して祝賀会を企画して逮捕された僧侶たちの釈放を要求すること。

②ラサまでの青蔵鉄道が完成して400万人の観光客が訪れている。しかし中国から移民が押し寄せ、商売の下請けをチベット人が押し付けられた。さらに物価が上昇し宗教活動は観光のアトラクションとなった。そしてチベットの伝統的な道具や仏像などを買い漁り、香港でオークションに出されている等々の不満。

③チベット語と仏教の信仰に対する構造的弾圧による大虐殺の停止。

④チベット人は中国がオリンピックを開催する国家としてふさわしい人権や宗教への自由など期待した。しかし中国政府はチベットの神聖な山から聖火ランナーが走り出すことや、マスコットにチベットのカモシカとパンダを利用することによってチベットが中国の一部であることを印象づけ、政治的に利用することへの不満。

中国は、北京オリンピック開催にあたって報道の規制を緩和し、自由に取材できると公言していた。しかし四川大地震でもマスメディアへの取材規制は強かったし、チベット自治区への自由な取材はできなかった。
ダライラマ法王は、中国がオリンピックを開催できるような品格ある国家となれば、宗教や人権への自由に向ってひらかられてゆくと信じて、オリンピック開催を積極的に支援してきた。そしてチベットの高度な自治を一貫して要求してきたのである。しかしその成果が得られず、中国政府との交渉は困難を極めているというのが現実となっている。

■チベットは中国の一部ではない・・・歴史的真実


ペマ・ギャルポ氏によれば、チベットが中国の一部であるという記録は1900年になってからであるという。イギリスが1906年の英露協商で、チベットにおける領土保全・内政不干渉を確認し、清の宗主権を英露が承認したというものだ。実態として中国がチベットを支配したという歴史は皆無であり、二度ほど清朝の軍隊が進軍してきたという程度である。何を根拠にしてチベットが中国の一部であるというのか、実にあいまいであり、中国政府は歴史的根拠を示すことができない。そもそも中国4000年の歴史という表現自体が、根拠のないものであるとペマ・ギャルポ氏は指摘する。

第二次世界大戦においてチベットは日本と戦わなかった。日本にとっては歴史的にインドを植民地にしているイギリスと中国との間にあるチベットは地政学上の重要な地域であった。そしてチベット仏教の研究者が多く日本から訪れ、文化交流を深めていたこともあり、日本とチベットは友好関係を結んでいた。

その結果、チベットは間接的敗戦国となり、1950年、中華人民共和国の中国共産党は「チベットは中国の一部である」として、チベットへと侵攻する。軍事制圧して、チベットに十七か条協定を押し付け、チベットの主権を奪った。これ以降、チベット人は中国に大量虐殺をされたのだが、その数は120万人に及ぶという。ペマ・ギャルポ氏によれば、「家族がそろっているチベット人は誰一人いません。家族の誰かが犠牲になっているのです」と悲痛で無念な想いを語られた。

ペマ・ギャルポ氏は、中国の教科書の記載として、1965年には「チベット侵入」とあったものが、1970年には「チベット進入」となり、1974年には「チベット解放」としてチベット侵略を正当化していると指摘する。これは歴史の真実を歪曲するものであり、やがてチベットが満州と同じ運命をたどるのではないかと危惧を隠さない。

■チベット問題には、世界の問題・課題が集約している
ペマ・ギャルポ氏は「チベット問題は、正義の問題であり、人類の抱えている見本市のようなものです」と語り、私たちが単にチベット民族の問題として考える以上に重大な問題を示しているという。

◆自然と環境問題
チベットは核の廃棄場となっているし、チベットの温暖化が早く進んでいるとのこと。また中国が森林を伐採したために、自然環境が破壊されてしまう。日本人が大好きなマツタケはペマ・ギャルポ氏のふるさとの山でたくさんとれるらしく、「あのマツタケは中国産ではなく、チベット産なのです」と語っていた。またヤギが芽をすべて食べてしまうので、土地が荒れてしまったという話も、中国政府が遊牧民を土地に定着させようとする政策によって、ヤギが移動しないために芽まで食べてしまうのだと指摘する。民族の暮らしや文化を無視して、無理やりに同化させるところに問題がある。

さらに、ウラニウムやリチウムの宝庫であり、最近の報道ではダイヤモンドも産出されることがわかったという。これでは中国がますますチベットを手放さないはずである。

◆宗教と民族問題
チベット人は600万人の規模があり、決して少数民族とはいえない。中国の人口から見れば小数民族とされてしまうかもしれないが、世界の国連加盟国をみれば600万人に満たない独立国は数多くある。チベット自治区の人口もチベット人が600万人に対して、中国人が750万人に膨れ上がっており、中国政府がチベットの中国同化政策を推し進めている。民族の浄化と宗教と文化の破壊がこれからさらに進められることだろう。

■チベット人の希望
ペマ・ギャルポ氏は「チベット人は希望を大切にしています」と笑顔で語る。
毎年、年明けには「来年はチベットでお祝いしましょう」と挨拶をするのが風習となっているらしい。行き詰ってみえる現実に対して、それでも必ず光明が訪れるのだとの信念があり、正義はチベットにあると確信して前進しようとしている姿がみえる。

現実としては中国がチベットの独立を認めることはせずに、同化政策を推し進めてゆくことになるだろう。しかし、チベットの人々はあきらめず闘い続けるという。

ペマ・ギャルポ氏は、「私たちはチベット人です。チベット族ではありません。何々族という言い方は中国の一部であることを正当化するものです。チベット自治区がチベットではないと同様に、チベット族ではなく、私たちはチベット人なのです」と強調しておられた言葉が強く印象に残っている。

チベット問題は、チベットだけの問題ではないことを肝に銘じておきたい。


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ペマ・ギャルポ氏の講演後の11月17日から22日にかけて「第一回亡命チベット人特別会議」がダラムサラで開催された。
ダライラマ法王は、チベットの独立ではなく中国政府のもとで高度な自治を要求して活動を展開してきた。しかしその成果が得られないことから、もう一度、独立か高度な自治かという選択をチベット人にゆだねることにしたという。その会議の結論が11月22日に出されることで注目された。

結論は、独立ではなく、中国との対話をすすめる中道路線ということになったようだ。
詳しくは以下のこちらに掲載されている。

【中国内外チベット関連消息 11月】
http://www002.upp.so-net.ne.jp/zhuling/xiaoxi/xx0811.htm