【第109期講座】2013年04月-2013年09月

鈴木 宗男の講座リポート


■はじめに
新党大地の代表である鈴木宗男氏は国会議員として大臣にまで登りつめ、内閣官房副長官などを歴任しながらも、外務省をめぐる疑惑事件に巻き込まれ衆議院議員運営委員長を辞任することになった。その後、受託収賄、あっせん収賄、政治資金規正法違反、衆議院証言法違反の四つの罪に問われ起訴された。それから8年間の裁判の闘いが始まり、一審の有罪判決を不服として控訴、二審は控訴棄却となり即日上告し、最高裁において上告棄却となり、未決拘留日数を合わせて懲役2年、追徴金1100万円が確定した。これにより未決拘留日数を差し引いた1年5か月という実刑により収監されることになった。
この間、鈴木氏は胃ガンが発見され手術している。そのときの診断はステージ3から4という深刻なものとされて、転移も疑われていた。しかし幸いなことに転移はなく、手術は成功している。また収監される前に食道ガンが発見され、その手術を受けている。
鈴木氏は、国会議員として日本の政治に高い志を掲げて頂点へと登り詰めていったところから、まさに左遷を味わい、大病を患い、牢獄に入って、それでも信念を貫いて見事に復活を果たした。古くから大人物になるには、①左遷を味わえ、②大病を患え、③入牢せよ、と言われていることを想い起こすような鈴木氏の人生行路である。
鈴木氏は現在、波瀾万丈な人生の中にあっても信念を貫くことによって、人間的な深みを練り上げながら、日本の民主主義への危機を訴えつつ、あってはならない「国策捜査」をなくすための闘いを継続している。
鈴木宗男氏に対する検察特捜部の捜査は異様であった。その三審の裁判は何であったのか、その真実はどこにあるのかを知ることは、日本の司法のあり方を問うということからも意義深いものがある。もし事実を無視して、まずは起訴ありきでの司法がまかり通るのであれば、「明日にも誰もが『鈴木宗男』になり得る」という、まさに自由と民主主義の危機がある。
検察の特捜部がデータを恣意的に改ざんしたり、手柄を立てて出世コースに乗るためにでっち上げの捜査が行われたりした「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件(2010年9月21日)」が記憶に新しい。こうした事実を無視した捜査がまかり通ることがあってはならないし、捜査する側が一方的に起訴するためのストーリーを描くなどは言語道断であり、恐ろしいことであり、これは法治国家として認めるわけにはいかない。

■鈴木宗男裁判は「国策捜査」であったのか?
「私が本物の鈴木宗男です」という挨拶で聴衆から爆笑の歓迎を受けて始まった講演会であった。巷間で囁かれている鈴木氏のイメージと言えば、収賄で有罪判決を受けて収監された、北方領土の国後島に「ムネオハウス」がある、当時外務大臣であった田中真紀子氏との対立していた、辻本清美氏から「疑惑の総合商社」と国会で追及された、胃ガンの手術をしてからフルマラソンを3時間50分台で完走した、等々が思い浮かぶ。
しかし、やはりここでの中心的な問題は、政治と金の問題で国会において追及を受け、あっせん収賄、受託収賄、政治資金規正法違反などで罪に問われたことであろう。
鈴木氏によれば、平成14年2月に共産党の佐々木憲昭氏が衆議院予算委員会の代表質問での「ムネオハウス」発言に端を発しているという。「ムネオハウス」はメディアでも繰り返し取り上げられて、この年の流行語大賞にもなった。
北方領土の国後島に建てられた「ムネオハウス」は正式名を「日本人とロシア人の友好の家」という。鈴木氏はこの施設が一度たりとも「ムネオハウス」などと呼ばれたことはないと強調する。「ロシア人が英語を使うというのもおかしいでしょ」と指摘し、この施設は本来、国後島を墓参に訪れる日本人が安全に過ごすことができる宿泊施設及び避難場所として建てられたプレハブなのだと解説する。そして日本人だけではなく、国後島に暮らすロシア人にも海が荒れた時に避難場所として使えるようにしており、現在も活用されているとのこと。
鈴木氏は、あくまでも北方四島への人道支援の一環として政治活動をしてきたものであるとして、この「日本人とロシア人の友好の家」もまた建てられているのだと語気を強くする。またこの施設を建設した大手企業のN社と外務省の関係について言及し、本来は地方業者が主導すべきものが、地方業者はすべて下請けにまわされてしまったのもおかしなことであったと指摘する。
収賄の罪で問われた事件のひとつひとつをみても、政治資金規正法に基づいて政治献金については領収書も発行し帳簿につけているにもかかわらず、検察の一方的な捜査による証言が採用されてしまったと主張する。
これには収賄に関する企業側の証言の背景には、検察官による今後の企業活動への影響を示唆する強要があったのではないかと鈴木氏は指摘している。実際に鈴木氏の永年にわたる後援会企業の参考人として取り調べを受けた人がそれを裏付けるような体験をしたという。
当時の与野党の政治的な思惑と、検察特捜部の手柄欲しさの先走りなどが複雑にからみあっての一連の流れがあったと鈴木氏は振り返る。辻本清美氏が2002年の国会の証人喚問の際に「あなたは疑惑の総合商社です!」といった発言に対しても、辻本氏は2009年に国会で「そういう事実はなかった」と陳謝している。時の権力とメディアとが悪いイメージを煽って、事実に対する冷静な議論とならなかったということもあるようだ。
2004年11月5日に東京地方裁判所は、受託収賄、あっせん収賄、政治資金規正法違反、衆院証言法違反のすべてに有罪判決を下す。懲役2年の実刑と追徴金1100万円という判決であったが、鈴木氏は即日控訴する。その4年後の2008年2月28日、東京高等裁判所は控訴棄却する。それで鈴木氏は控訴棄却を不服とし、即日上告する。
当時は自民党を離党し、「新党大地」の代表として2005年9月の衆院選を闘い当選する。2009年には政権交代により民主党の与党会派に入り、刑事被告人という立場で衆院の外務委員長となった。鈴木氏は翌年9月の民主党の代表選挙で小沢一郎氏を推し、その優勢を伝えられているさなかに、9月7日に最高裁判所が上告を却下した。すぐに異議申し立てをしたが、9月17日に最高裁は異議申し立てを却下した。日本の総理大臣を選ぶ局面で小沢氏を推していた鈴木氏に対して上告を却下する最高裁の対応には意図を感じないわけにはいかない。元外務官僚の佐藤優氏は、鈴木氏にこの最高裁の判断を「最高政治裁判所ですね」とコメントしたという。
これにより鈴木氏の2年の実刑と追徴金1100万円が確定し、鈴木氏は未決拘留日数220日を差し引いた1年5ヶ月の実刑となった。それで2010年12月6日から喜連川社会復帰促進センターに収監され、2011年12月6日に仮釈放となり、実質的に1年間の刑期を終えている。
地検特捜部による逮捕、捜査、起訴という一連の流れのなかで何があったのかについては、鈴木氏の著書に詳細に記されているが、これらの事件に対して再審請求をして、闘いを継続しているという。
鈴木氏は捜査について、取り調べの可視化を強く推進する運動を展開しているが、特に国家権力に逆らうことができない参考人となる証人についてはすぐにでも可視化をした方が良いと強調しておられた。検察にとって有利な証言のみが裁判で有効にされてしまっては、その証言の真偽を知ることができないというものである。
自由と民主主義の法治国家において「国策捜査」があるということが疑われないようにするために、公正な捜査と公正な裁判を実現するために鈴木氏が指摘するように可視化を推進すべきではないかと思う。

■人生の苦難を超える三つの秘訣
鈴木氏が国会議員として国家のために尽くそうと登りつめていく中で、収賄の罪に問われて思いがけず塀の中に収監されることになった。しかも胃ガンとなり、絶望のどん底に突き落とされたとき、「人生は終わった」と思った。55歳の人生を振り返り、「国会議員としても一生懸命に頑張ってきたし、実績も残してきた。人の倍生きてきたのだから、悔いはない」と思いながらも、ただ涙が流れてきたという。
このような絶望的な情況の中で、鈴木氏はどのようにこの苦難を乗り超えることができたのだろうか。

1)不屈の信念
鈴木氏はこの苦難、困難を超える秘訣の一つとして「不屈の信念」をあげている。信念をもってぶれないことが大切なのであり、どのような環境にあっても変わらない信念を貫くことができれば、人は信用してくれるものだと実感したという。自分自身が環境に流されて変節してしまわずにいれば、人はわかってくれるし、ついてきてくれる。

2)一人では生きていけない
この苦しい情況にあって、検察官の「国会議員のバッジを外したら・・・」という誘惑もあり弱気になってあきらめかけたとき、鈴木氏はご夫人の言葉で踏みとどまることができたという。
鈴木氏はご夫人から「お父さんが悪いことをしたと思ったのであれば、やめてもいいです。しかしお父さんほど働いた人はいない、自分の人生を否定しないでください。これまで国のためにも地域社会のためにも頑張ってくれたという誇りをもっています。信念をもって闘ってください。それまで家は私が守ります。後援会も守ります。・・・」という励ましに支えられたという。またカナダに留学していたご息女から毎日FAXが届き、「お父さんを誇りに思っている」という内容に心うたれ、大いなる力となって支えらえたとのこと。
さらに歌手の松山千春氏との友情関係は変わることなく、鈴木氏は「心友」として同じ価値観を共有している。松山氏は「鈴木宗男が地獄に落ちても、私も地獄で鈴木宗男と選挙をする」と語っているという。鈴木氏の「心友がいれば歴史をつくることができる」と熱く語っている姿が印象的であった。

3)目に見えない力に生かされている
私という存在が目に見えない力によって生かされていると知れば、与えられている命に感謝して、困難も乗り超えられると鈴木氏は力強く語る。亡き両親をはじめとして、ご先祖さまがあってこそ、今の私の命がある。目に見えない力によって助けられ、支えらえているのだと。

鈴木氏は獄中生活の中で、人生の苦難を乗り越える三つの大切なことを悟ることができたという感謝の心があるという。

■むすびにかえて
鈴木氏は一連の検察の捜査や裁判を不服として再審請求をしているが、鈴木氏の裁判だけではなくこうした問題意識が自由と民主主義による法治国家として公正な裁判が行われる基本的な問題提起となるように期待したい。
しかしながら鈴木氏の晴れやかな表情と熱い心情は、これまでの苦悩と苦難を乗り越えて結晶化したような鈴木氏の人生観や価値観を裏付けているようだ。還暦を過ぎ、胃ガンの手術をしているにもかかわらず、フルマラソンで4時間を切るというのも驚異的である。全国のガン患者から励まされ、また励ますという交流も多いと聞く。
死と再生を繰り返すことによって人は大きく成長すると言われるが、左遷や大病や獄中を経験するというところから復活した鈴木氏の明るい表情は実に魅力的であった。死線を越えて見える風景があったのだと推察するが、これからの政治家としての活動がさらに日本国の明るい未来づくりにつながっていくように期待したい。

領土問題やエネルギー問題など日本の根幹をゆるがすような問題が山積している現状の中で、国内の権力争いに終始するのではなく、党派を超えて政治家が何よりも優先して国益に殉じてもらいたいというのが私たちの願いである。